思っていたより人生は長い

京都在住。走ったり、本を読んだりする日々の雑記。

初マラソンの経緯

 初めてマラソン大会に出たときのことを当時の日記やジョギングの記録を見ながら、思い出して書いてみます。マラソン大会に出たことがない方に、こんな感じでも大会に出ていいんだ、ということが伝われば幸いです。

 

 

マラソン大会に出ようと思ったきっかけ

 大会という目標があれば、冬のトレーニングも頑張れるんじゃないかと思ったのが始まりです。
 それまで4、5年ぐらい走ってはいたのですが、冬になると寒さで外に出るのがイヤになって、休むか走っても月2、3回程度、暖かくなってからまた回数を増やす、の繰り返しでした。ある年、冬も頑張ってみようと思い立ち、目標があったら多分走るだろうと信じて申し込みを決めました。
 泊まりがけで行くのは大袈裟かと思い、近いことを条件に探し、2月最初の日曜日に行われる「木津川マラソン」に決めました。フルマラソンかハーフマラソンかというのは特に決めていなかったのですが、申し込み画面の前でしばらく悩みながらも、制限時間がない大会だったのでフルマラソンでもいいだろうと安易に申し込みました。
 2014年10月始めのことでした。

 

大会前の練習

 走っていた、と言いながらも、それまでは月間100㎞も走ったことがなく、しかもゆっくりイーブンペースで走るのみ(月間100㎞というのは「月間100㎞でもマラソンは完走できる」みないな記事が雑誌で取り上げられるぐらい、最低限な距離)。トレーニングの知識もなかったので、ゆっくり走るのは変わらず、週末だけは長めの距離を走ろうと少しずつ距離を伸ばしていきました。その甲斐あってか、11月に110㎞、12月は2週間近く体調を崩したこともあって55㎞だけでしたが、1月は頑張って140㎞まで距離を伸ばしました。一度に走った最長距離は最長は25.5㎞。本当は30㎞走りたかったのですが、疲れたので断念しました。
 大会前の調整の参考に、本を買って読みました。大会当日颯爽と走る姿を勝手に想像していました。

 

非常識マラソンマネジメント (ソフトバンク新書)

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大会当日

 そして大会当日の2015年2月1日(日)。駅でも大会会場でも、トイレは並ばないと行けないものだと初めて知りました。
 最後まで走りきるを目標に、周りを気にせずひたすらゆっくり走り出しました。普段の練習から最初の1㎞がやたらと遅く、スタートに苦手意識があったので変に周りについていこうとはせず、自分のいつものペースを保って走り続けました。それにしてもみんなのスタートの早いこと。自分は絶対もたない、と思ったので気にはならなかったです。
 20㎞は何度か走っていたので問題は未知の距離に入ってからかな、と思っていたのですが、20㎞過ぎから既に腰に違和感を感じ始めました。何でだろう、と思いながら23㎞走ったところで原因に気付きました。大会前に買った参考書に、大会は補給が大事と書いてあったので、ウエストポーチにたくさんの補給食を詰め込んで走っていたのです。気付いてからあわててポケットに移し、ウエストポーチも付け方を変えたりしたのですが、時既に遅し。腰痛が治まることはなく、徐々にひどくなり、28㎞地点の給水所の前後で少し歩いてトイレ休憩、その後給水所があるたびにそっちの方が取りやすいからと理由をつけて少し歩き、33㎞でついには完全に立ち止まってしまいました。腰だけでなく、足も今まで感じたことのない痛みでした。
 歩くために参加したわけじゃない、と変な意地から、歩かずに止まってストレッチをして再び走るということを繰り返していました。しかし35㎞を過ぎたところで心も完全に折れ、もう何でもいいから終わらせたいと、歩いてゴールを目指しました。永遠に着かないんじゃないかと絶望的な距離にも思えたのですが、40㎞までなんとか到着し、そこでやる気が復活。そこからはなんとか最後まで走りきることができました。
 練習ではキロ7分を維持して走っていたので、うまくいけば5時間切れるかな、なんてことを思っていたのですが、結果は5時間25分。ゴールしてからはタイムのことよりも無事終わった安心感でいっぱいでした。

 

大会後

 翌日は休みをもらっていたのでゆっくり寝ていました。というか筋肉痛でベッドから出られず。昼前になんとか這い上がり、スーパー銭湯へ行ってのんびり過ごしました。
 火曜日から仕事。痛いことは痛いのだが、普通に歩く分にはそこまで困らず、スーパー銭湯のおかげか、などと思っていたら、階段の上り下りでまだまだ筋肉痛が治まっていないことに気付きました。当時の勤務地はあいにくなことに2階。しかも階段を使わないといけなかったので、手すりをもって1段1段上がっていく無様な上り方をしていました。
 筋肉痛が完全にとれたのは1週間後でした。
 結果が自分的には納得いかなかったので、次の大会を探して申し込みました。日程的にフルマラソンは見つけられず、ハーフマラソンで妥協しました。そのハーフマラソンでも撃沈したのですが、それはまた別のお話。